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空と海のような色が贈り物にもピッタリ!沖縄の『琉球ガラス』の歴史に迫る

沖縄の空や海のような青を引き立てる、色とりどりの鮮やかな色彩。手や口になじむ厚み。気泡の入った柔らかなたたずまい。沖縄の街でよく見かける「琉球ガラス」は、沖縄県の伝統工芸品です。グラスはお土産や贈り物にピッタリ。現地のガラス工房での体験も人気です。実はその美しい姿の裏に知られざる歴史を抱えた琉球ガラス。その誕生秘話を知っていますか?知ればもっと好きになる、琉球ガラスの秘密についてせまります。

沖縄の空と海の色をしたガラス

沖縄に行くと、街のあちこちで見かける鮮やかな色のガラス小物。
刻々と移り変わる空や、海やそこに住む生物たちの色をそのまま映しとったかのような、透明で深い色が美しい沖縄県の伝統工芸品です。
「琉球ガラス」と呼ばれ、その独特な風合いは世界中のひとたちから愛されています。

琉球ガラスとは

琉球ガラス(りゅうきゅうガラス)は「沖縄ガラス」とも呼ばれ、沖縄県の本島を中心に生産されています。
吹きガラスなどの、ホットワーク作業で作られるガラス工芸品です。
沖縄でよく飲まれるお酒”泡盛”を、地元の人たちが素朴で涼しげなガラス器を使ってロックで飲む姿が観光客の目にとまり、「琉球ガラス」として人気が出ました。

琉球ガラスの原料

琉球ガラスのもともとの原料は、アメリカ軍基地で捨てられたコーラやビールの空き瓶でした。
太平洋戦争後の資源難のなか、不要となった雑多な瓶を溶かして再利用。
その結果、再生の過程で混じった気泡も残されたままの、厚手の赤色や緑色などの多彩な色合いのガラスが誕生しました。
本来ならば不良品扱いとなるはずの”気泡”や”厚み”がかえって独特の味わいを持ち、沖縄ならではのガラス製品に発展していきました。

琉球ガラスの歴史

1600年代  長崎に、ポルトガルやオランダからガラスの製造技術が渡来しました。
この頃とほぼ同時代の比較的早い時期に、沖縄にもガラスが伝わったとされています。
1800年代  長崎などからガラス職人を呼び、沖縄でのガラス製造が始まりました。
そこから沖縄全域に向けて、生活必需品がガラスで作られます。
1944年10月10日  米軍による那覇大空襲の際、県内のガラス工房全てが全焼。
戦前のガラス製品はほとんど残らないほどでした。
そして戦後まもない頃、とうとう琉球ガラスは誕生します。
もともとガラス製造の技術を持っていた沖縄です。
ガラス工房を立て直す前にはコーラ瓶の底を切り離しコップとして使っていましたが、戦後の物資不足の中、空き瓶を溶かしてガラス製品を再製作。
1960年代  ベトナム戦争が起こり、米軍人が本国への土産品として持ち帰るため、県内に次々とガラス工房が設立されました。
1972年  沖縄の本土復帰で沖縄観光が本格化。
観光客のお土産品として需要を拡大していきます。
着色にもいろいろな技法が取り入れられるようになりました。
1998年  琉球ガラスが沖縄県の「伝統工芸品」に認定されました。
琉球ガラスは、実は戦争の歴史から生まれた品だったのです。

琉球ガラスの現在

現在の琉球ガラスは、原料や技法も格段に進化を遂げました。
昔はコーラやジュースの空き瓶を溶かしていましたが、現在では原料に着色剤を調合して、沖縄をイメージした鮮やかな色彩を生み出しています。
平成10年には沖縄県の伝統工芸品に認定され、沖縄の人々の暮らしの中に溶け込む芸術品となっています。

琉球ガラスの商品たち

現在は沖縄ブームもあり、琉球ガラスのメーカーや工房も増えました。
それぞれが腕を競い合い、日々美しいガラス製品が生み出されています。
その中の一部をご紹介します。

海蛍グラス

沖縄らしい涼しげな青のグラス。
一見普通のグラスに見えますが、暗くなったときに写真のようにぼんやりと光ることから「海蛍グラス」という名が付きました。
太陽や蛍光灯の光を蓄光し、暗い所で光る幻想的なグラスは琉球ガラスの中でも一番人気のお土産です。
半永久的に使えるので、インテリアとして飾っても楽しめます。
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CRASIA編集部